芸哲宗のブログ

クリエーションが好きなだけでクリエーター

『憧れ』と『創造』

       

「『あこがれ』って、最近ある?」

理想とする物事に強く心が引かれることを憧憬 (しょうけい)・・・などと言う。
憧憬という言葉はもちろんのこと

『あこがれ』という言葉さえ忘れてしまうほど使っていない。

時間と共に忘れ去られていく、それが「憧れ」かと思うほどに。
いや、待てよ、そんなことはない。
なにか「憧れ」ていることがあるだろう?
あると思いたい・・。

しかし、どこを探しても今現在「憧れ」ている対象が無い。
ホントにない。
美しいものや新奇的で面白いものには目を奪われるが、
それは『あこがれ』なんかじゃない。

周りを見渡しても、世界は「あこがれ」に満ちていない。
皆、無邪気な子供時代を過ごしてきているというのに、
まるで鉄仮面の様に「あこがれ」から遠いところで必死に働いている。

「憧れ」たいのに「憧れ」られない。

この惑星はもっと素敵に違いない。
平和は持続し愛と豊かさで満ちているのだ、
と思い込み、つまり希望的観測はある。

実際どうだろう?リアルな世界を直視しても・・・・
どこもかしこも複雑怪奇で問題の山積みだ。
素敵な「あこがれ」なんかはありゃしない。

ニュースをつければ素晴らしい夢物語が入り込むという奇跡もなく、
争いと競争に満ち、策士の集まる政治やマネーゲームに浸かっている
経済が透けて見える。

戦争だの殺人だの性虐待だの不倫だの・・・。

相変わらず、

破壊的・否定的・消極的な現実は消費者の関心をそそり、
そんなニュースはまた関心を集める。

勝手なつぶやきだが、
創造の源でいてもらいたい「憧れ」
しかし、そんな欺瞞に満ちた世界に「あこがれ」は入り込む隙もない。

いや、待てよ。

もしかしたら、戦争で戦っている人、殺人を犯してしまった人、
性虐待や不倫をしてしまった人たちこそ「憧れ」があったのかもしれない。

「憧れる」の語源は、もともと「あるべき場所から離れる」

という意味の言葉らしい。

これがいつしか「心があるべき場所から離れる」、

つまり「心が奪われる」という意味となる。

勝手な思い込みから変に「あこがれ」て、戦争だの殺人だの性虐待だの
不倫行為に走った可能性だってあるのかも。

「憧れ」は表裏一体で「憧れる」先は天と地ほど隔離がある。
これはナイフも原子力も一緒だ。まさに諸刃の剣・

しかし、「憧れ」は創作へも向かう。

「憧れ」・・・・
そんなことをブツブツと唱えながら、

プラネタリウムへ行った。

夜空に瞬く星。

「憧れ」の力を仕事で活かすためには自然を感じることだ、などと言い聞かせたが、実際にバーチャルでも星空が観たかった。無性に星が観たくなった。

それでも立派な「憧れ」だった。
本物の夜空には星が無いのだから仕方がない。ここに来るしかなかった。

「憧れ」の意味は、
理想的な生活や未来をぼんやりと想像して、
もし現実になったらいいのにと思うことだと信じる。

「憧れ」という漢字を分解するとりっしんべんに童、

つまり子供の心となる。

しかし、
この童はもともと動くという意味で、

心が動いて落ち着かない子供にも由来するらしい。

いいじゃないか、創造力を引き出すために、

「子供」に帰ろう。
「あこがれ」を探しているから、心が動いて落ち着かない。

他人の評価など関係なく、

自分の中にかろうじて残っている「憧れたい」という部分。
子供の腐ってない純粋な部分。
何とかそれを無理やり引っ張り出して、
息を吹きかけて、明日も頑張ってみようか。

まだまだ「憧れ」を追い続けて。

 

感情と直感 脳とクリエーションプロセス

         

 

私はクリエーターやアーティストが直感を得て創造を表現していく過程にとても興味があります。

このプロセスには脳や身体の様々な要素が関与していますが、具体的なメカニズムはまだ完全に解明されていません。

右脳の活動

直感的な思考や創造性は、しばしば右脳の活動と関連付けられていますよね。
右脳は全体的なパターン認識、感情、直感的な洞察に関与していると言われています。
そこで、創作の過程において、アーティストが直感的にアプローチして新しいアイディア(ひらめき)を生み出すのに右脳が関与している可能性があるということです。

クリエイティビティ

クリエイティビティとは、新しくてすごいアイデアや作品を生み出す能力のことです。クリエイティビティは、絵を描いたり、発明をしたり、お店を始めたりするときに必要なもの。
では、クリエイティビティはどのようにして脳で発生するのでしょうか?

脳は、たくさんの細胞がつながってできています。
細胞は、電気信号や化学物質を使って、おしゃべりをします。
脳の活動は、この細胞のおしゃべりの動きによって表されます。

主に2つの段階があるということらしい・・・です。

1つ目は、発想段階と呼ばれる、色々なアイデアや情報をくっつける段階。2つ目は、実現段階と呼ばれる、選んだアイデアや情報を本当に作る段階。

発想段階

脳の活動は、広くて散らばったパターンを示すといいます。これは、脳の色々なところが協力して、違う種類の情報をまとめているということでしょう。発想段階では、脳の活動は、自由に流れるようになるわけですね。これは、脳の止める機能が弱くなって、新しいことに挑戦するようになることを意味します。

実現段階

脳の活動は、狭くて集中したパターンを示すといいます。
これは、脳の特定のところが元気になって、目的に合った情報を処理していることを意味します。実現段階では、脳の活動は、制御されたようになり、脳の止める機能が強くなって、評価や判断や計画を行うようになることを意味するらしいです。

つまり、

クリエイティビティは、

脳の活動のパターンの切り替えによって

支えられているということですね。

発想段階と実現段階は、互いに助け合う関係にあり、発想段階で生まれたアイデアや情報は、実現段階でチェックや改善や実行されます。実現段階で得られた結果やフィードバックは、発想段階で新たなアイデアや情報のもとになっていくということ。

脳の活動のパターンに影響を与える要因として、
例えば、気分や感情ややる気や環境や文化などが、クリエイティビティに影響を与えるといいます。クリエイティビティを高めるためには、これらの要因に注意を払って、自分に合った方法を見つけることが大切です。

自身の“気分”、“感情”、“モチベ”、“環境”・・・これ次第で創作が変化するわけですから、身の回りの環境づくり、というか感情づくりが物凄く大事なわけです。

どうせなら、クリエイティビティによって、

私たちの人生に楽しさと価値をもたらしたいものです。

 

「己の感情」これがアーティストのパレットですね。

 

 

奇妙で不思議な世界の創造「量子力学と芸術」

量子力学と芸術というテーマはとても興味深いと思ったのですが、

少し遠大過ぎました。

量子力学は物質の最小単位である量子の振る舞いを記述する理論で、

芸術は人間の感性や創造性を表現する活動です。

 

この二つの分野は一見関係がないように見えますが、

実は共通点や相互作用があると思います。

 

少しわかりずらいと思いますが、
量子力学は芸術のインスピレーションの源になる」と、

私は勝手に思い込んでいます。

 

量子力学の概念や現象は非常に奇妙で不思議で、
それを芸術的に表現することで新しい視点や感動を

生み出すことができるのではないかと感じます。

 

例えば、「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験は、
量子力学不確定性原理を説明するために考えられたものですが、
それを題材にした小説や映画、絵画などが多数作られているそうです。

 

ちなみに、

シュレーディンガーの猫は、

物理学の一つである量子力学の概念を説明するための例え話です。

 

想像してみてください。

 

猫が箱に入っていて、

その中には放射性物質ガイガーカウンター放射線を検知する装置)

があります。

放射性物質が崩壊するとガイガーカウンター

それを検知し、猫に影響を与えることがあります。

 

ここで、量子力学の原理に基づくのが、

猫が生きているか死んでいるかを確定させることができないという考え方です。

 

物質が崩壊するかどうかは確率的であり、

崩壊するかどうかが決まるまで猫の状態も確定しません。

 

そのため、猫は生きているし死んでいる、

という状態が同時に存在することになります。

 

この状態が確定する瞬間が来るまで、

猫は生きているし死んでいる可能性が同じくらいある、

というのがシュレーディンガーの猫の考え方です。

 

また、量子力学の数式や図形は美しさや対称性を持っており、
それを芸術作品に取り入れることで科学と芸術の融合を試みることができますよね。

 

次に、芸術は量子力学の理解や普及に貢献しているのではないでしょうか。

 

量子力学は非常に難解で抽象的な理論で、
理解しにくいものかもしれませんが、芸術は感覚や感情に訴えることで、
直感的に理解させることができます。

 

例えば、「アン・ハミルトン」というアメリカの芸術家は、
量子力学の重ね合わせの原理を表現するために、二つの異なる色の糸を織り交ぜた作品を作りました。

 

このように、
量子力学のテーマを扱った芸術作品は、
観る人や読む人に驚きや好奇心を与えます。

 

少し強引かもしれませんが、
量子力学と芸術は互いに影響し合う関係にあるように思えるのです。

 

量子力学は芸術のインスピレーションの源になり、
芸術は量子力学の理解や普及に貢献するという面白い関係性ですよね。

 

この二つの分野は異なるように見えますが、
実は同じものを探求していると言えるかもしれません。

 

それは、

自然の真理と人間の感性の共鳴と言えるかもしれません。