書いたり描いたりしている人は ひたすらアウトプットを繰り返していく。そのまま続けると無性にインプットに飢えてくる。調子が狂ってきたらとにかく外に出ること。雑音を聴き、雑踏に触れる体感インプット。真水に魚は住めない。
2024/1/11 Xエックスからの抜粋
なんでも極端はよろしくないと感じます。
1933年に首相に指名されたヒトラー。1年程度で一極集中独裁指導体制を築いた独裁者の代表ですね。超ポジティヴな思想と行動の結果、冒険的な外交政策と人種主義に基づく政策で、全世界を第二次世界大戦へと導きました。結果、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こしたのです。
ネガティヴに働き過ぎた結果は、規模の大小関わらず、縮小や停止、個人では終焉でしょう。
つまり行き過ぎた〝極端〟はいずれにしても〝破壊〟のベクトルを持っています。
バランスは〝美〟というものに少なからず近づいていくのではないか、と勝手に思っています。
そのために、雑音を聴いたり、雑踏に触れたりという時間は決して無駄な時間ではありません。周りからみたら、「遊んでばかりいる」などと思われても、その時間を確保しなければ、あたらしい創造のきっかけは出にくいように感じます。
クリエーターやアーテイストは仕事と遊びのバランスを上手にとっている人が多い気がしますしね。
あなたはどうですか?