芸哲宗のブログ

クリエーションは人間に託された力

心のエンジン

心のエンジン
おはようございます。自分の意見を持つということはとても大切。自分の意見を言えば、健康になる。言って叶わなくても、言わなかったよりも、健康に近づく。今日もココロにエンジンをかけて走るよ。
 
 
これはけだるい朝の直感から出たポストです。
 
よくも図々しくこんなことをつぶやいたと反省すらしています。
でも、本当にそう感じてしまったのですからお赦しを。
 
この場合の〝健康〟っていうのは目に見える肉体も、
目に見えない精神的なものも含めての両側です。
 
自分のオモイを言葉にするっていうことは、
その反応を伴うわけですから案外デリカシーになりますね。
 
しかし、意見だけではなく、単なるおしゃべりも、愚痴も含めて、
表の世界へ「ポンっ」て出しちゃうかどうかで、
微妙に健康状態が晒されてしまう気がするものです。
 
というより、無意識にでも心の状態を自分自身で、ろ過して表現しているでしょうからドンドン出した方がすっきりするし新たな発見もあります。
 
しかし・・
自分自身、普段の感情を言葉に出しているのかっていえば、
50%ぐらいですけどね。だからココロのエンジンが必要なんです。
 
子どものようにほぼ100%言葉にだせたら、これは凄い!逆に面白いです。
だから面白がるためにエンジンが必要なんです。
 
間違いなく、溜め続けると病気の元になりますね。
 
 

創造性の自由

自分の中に眠っている、「人に言ったら恥ずかしい」と思うような超純粋で正直な意識を表現するのが。音楽や絵画、そして小説や詩など。自分を止めてはいけない。なんの躊躇も必要なく、そこにこそ真っ直ぐに全エネルギーを注ごう。それが生きてる証となるのだから。

 

 

2024/1/3Xエックスからの抜粋です。

今までのなんてことのない
Xエックスのつぶやきに一言を添えていきたいと思います。

自分の中に眠っている、
「人に言ったら恥ずかしい」と思うような
ことは実は、「宇宙」と繋がっている可能性を秘めていると感じます。

正直な本来の意識は自分で認めることさえ難しいものだとも感じます。
アーティストやクリエーターの人たちは、
商業的創作と自己の内面との葛藤が稀に生まれてしまいます。

自分では意図しないものが企画に通ってしまったり、
本当はコレが“推し”だ、
そう思っても中々選択されないことさえあります。

超有名な売れているミュージシャンのアルバムでさえ、
「なんだこれ?」というような曲が入っていたりするのが良い例です。

しかし、売れる、売れないということの前に、
本当に自分が表現したいものを作り続けるということもまた大切な気もします。

たとえ評価が今一であっても貫き通す。
そして貫き通してそこから学びうるものを素直に認めていくという勇気も必要でしょう。

人は「評価」に敏感です。
しかし、「評価」に押し流されない自由な創造性もまた大事だと思うのです。

そんなこんなの繰り返しで、
自己の中にある“基準値”と遥か彼方にあると同時にいつも一緒にいる“宇宙の意識”の基準値を比べてみれば、なんと小さいことで悩んでいるんだろう、などとも感じます。

全てが自由で、あなただけの個性の活動こそ、
止めてはならない個性だと感じています。

 

未来型アーティストの芸術性と資本主義

こんにちは、芸 哲宗です。
自分の表現と他者が求めている表現に関してプチ哲学的な話題として、
 
「アーティストと資本主義」というテーマで
書いてみたいと思う。
 
まず、アーティストって何者?
 
簡単に言うと、クリエイティブな表現をする人たち。写真、音楽、絵画、彫刻、映画、文学、パフォーマンス...その表現方法は多彩だ。
 
さて、資本主義って何?
 
これも簡単に言うと、自由市場経済における所有権と労働の関係を基礎とする社会の貨幣経済システムのこと。
 
アーティストと資本主義という二つの流れが交差するとき、興味深い現象が起こる。資本主義が芸術の才能を抑制する可能性があるからだ。
 
才能あるアーティストでも、経済的な成功を収めるのは容易なことではない。
 
しかし、もう一方では、資本主義が芸術を推進する力にもなる。芸術作品を商品化し、消費者に提供することで、芸術家は自分の作品を広く知ってもらうことができるからだ。
このバランスがなんとも・・難しい。
 
自分の作りたいものが必ず貨幣化するのかというとそんなことはないからだ。確かに自分の好きな表現の中にもう一人の自分がいて、「もっとこのように表現すればウケるかな」といって、初期の表現を変えてしまうこともあるだろう。
 
しかし、これこそがクリエーションなのかもしれない。
 
エゴのコントロールもクリエーション。
 
つまり、資本主義は芸術を抑制する一方で、推進する力でもあるという吸引の法則のようなものがある。まるで磁石のような。そのバランスをどう取るかは、芸術家自身の客観的な判断も必要であり、社会全体の課題でもあるのだろう。特に日本ではね。
 
資本主義と芸術の関係は、
その両方を理解し、批判的に見ていくことが大切なのかもしれない。
批判的に物事を見ていくことができれば、資本主義や芸術、社会、経済、哲学など、幅広い分野で自分自身の価値観や判断を確立できるからだ。
 
資本主義にしても、芸術にしても、社会にしても、経済にしても、哲学にしても、その本質や影響を正確に理解するためには、異なる視点から批判的に捉えることが必要と
なる。
 
例えば、資本主義は便利な面もあるが、批判的に見ると、資本主義の拡大が弱者への差別や環境破壊をもたらす可能性があることを理解できる。
 
芸術についても同様だ。
 
批判的に見ると、芸術は単なる娯楽や技術の技巧だけでなく、社会や政治、個人の思想や感情を表現する手段であることがわかってくる。
 
哲学や経済学でも、批判的な視点から見れば、各学派や理論の強みや弱点、その背後にある前提条件や価値観を理解できたりする。
 
簡単に言えば、批判的に物事を見ていくことで、自分自身の考えや判断を尊重し、他者や社会全体の利益を考慮し、より良い世界を作るための基盤を築こうという意識も芽生える。
 
だからこそ、未来型アーティストは「批判的に見ていくことが大切」だと感じる。
 
自分の表現したい芸術性を守りながら、資本主義の恩恵も受け取る。
 
そんな社会が未来に構築されるために
批判的にみれば、
貨幣制度は必要ないのかもしれないな(笑)