書いたり描いたりしている人は ひたすらアウトプットを繰り返していく。そのまま続けると無性にインプットに飢えてくる。調子が狂ってきたらとにかく外に出ること。雑音を聴き、雑踏に触れる体感インプット。真水に魚は住めない。
振り返る喜び:日常の小さな幸せと自己発見の可能性
「今日はどうだった?」このなんてことない出来事を話し合えることって 実はとてつもなく奇跡的なことで、幸せなことで、凄い確率で、だからその時間にしっかりと意識を集中しないと時間の荒波にやられて終わってしまう。こんな瞬間が幸せの本格的な状態だったりするんだよ☀️
(2024/1/10Xエックスからの抜粋)
「今日はどうだった?」って聴いてくれる人がいるってことはとても幸せなことです。
大きな変化もなく、イベントも無い、ごくありふれた日常生活の中を改めて
振り返り、「何かなかったっけ?」などと意識させてくれる言葉です。
あっという間の一日なのですが、
よくよく振り返ってみると何かしらに
集中していたことを思い出させてくれたり、
ふと感じたことを言語化できたりします。
その物語をかいつまんでポツリポツリと話し始める。
そこからその物語は初めて、一歩踏み出して物語として成立していきます。
語らなければ、ただの妄想でどこかへ流されてしまうから物語にはなりません。
だから、
ありふれた日だな、と思ったらそれはチャンスです。
目の前の人に「今日はどうだった?」と聴いてみれば、そこから始まります。
もし、誰も居なければ、
自分に聴いてそれを形にしていくと新たな自分を発見できたりするものです。
未来はバイオロボットが聴いてくれるかもしれません(笑)
感情のコントロール~自我と解放~
自分をずっと自由にコントロールしてくれば、そりゃ気が楽でストレスも溜まらない。それが急に組織の中に入ってコントロールできなくなり不自由を感じるとそれがストレスとなる。会社や学校など。だから言いたいことを言える場所が必要。リアルでもネットでも。たとえそれが愚痴だと思われても。
(2024年1月9日 Xエックスからの抜粋)
組織というものは自分の自由というものが、ある種制限されます。
たとえば、ミュージシャンがアルバムを出した時、「ああ、これはジコマンの曲だな」などという曲もあるんですね。
ヒットするかしないかは出してみないと、表現してみないとわからないものなのですが、しかし、「売れなくてもいい」という強い自我の意識がどこかにクリエーターの中にはあるモノでそれが噴出するのかもしれません。
感情のコントロールも似たようなところがあります。
分っちゃいるけど、やめられない、みたいな。自分では、〝我〟を削らなければならないということは、深い部分でわかっているんです。
しかし、感情の抑制は「ストレス」へ変換されることもあるから厄介ですね。ときには、善悪を超越して、感情の解放を思いっきりしてみることをおススメします。
「わかっちゃいるけど、やめられない」・・・
そんな自我を客観的に見据える大きなチャンスだったりするからです。