芸哲宗のブログ

クリエーションは人間に託された力

表現はエネルギー!善悪を超えた振動の哲学

自由な時間は人間復興
あなたの言葉に響く人がいる。あなたの絵に共感してくれる人もいる。その反面、あなたのひとことに愕然となる人や反感を持つ人もいるだろう。ましてや絵をみて不快な人もいるかもしれない。どちらにせよそこにエネルギーがあれば圧倒が生まれ振動数が変化する。善悪を超えて。
(2024/2/8 Xエックスからの抜粋)

表現というものを、いつも、やっぱり考えてる。
言葉や絵みたいなものが、人にどんな影響与えるかって、面白い。誰かに響いたり、逆にモヤっとしたり。でも、それでエネルギーが生まれて、何かが、きっと変わる。
 
善い悪いの枠を超えて。この辺、哲学的に掘り下げると、頭がワクワクしてくる。ちょっと一緒に深く考えてみよ。
表現が引き起こす「響き」と「反発」

まず、何か発信する。ブログ書いたり、絵描いたり。すると、誰かが「これ、心に刺さった!」って喜ぶ。

 
でも、別の人は「なんだこれ、気に入らねえ」ってイラつくかもしない。面白いのは、どっちも「反応」だってこと。無視されるより、どっちかの感情を揺さぶる方が、パワーがあるよね。
 
これ、哲学的に言うと、「存在の振動」みたいな感じ。
 
ヘラクレイトスって古代の哲学者が「万物は流転する」って言ってたけど、表現も同じ。静かな池に石投げ込むみたいに、波紋が広がる。肯定的な波も、否定的な波も、結局は池全体を動かすということ。善悪って人間が勝手に付けたラベルで、本質はエネルギーの交換かもしれない。
 
エネルギーの「圧倒」と変化
で、その反応が強いほど、「圧倒」みたいなものが生まれる。相手が感動しようが、怒ろうが、そこに熱量があれば、あなたの表現はただの「もの」じゃなくて、生き物みたいになる。
 
振動数が変わるって言うか、周りの空気がビリビリする感覚。
 
ピカソの絵。
キュビズム見て、最初「なんだこれ、意味わかんねえ」って愕然とした人、たくさんいたらしい。でも、それがきっかけで美術の世界が変わった。
 
不快感さえ、エネルギーになって、芸術の振動数を上げた。善い絵か悪い絵かじゃなく、ただ「影響を与える」ってだけで、歴史が変わった。
 
ニーチェの「力への意志」という概念がある。
万物は力を求めて動くって言ってるけど、表現もそれかもしれない。響く人も反発する人も、あなたの「力」を引き出す触媒。
 
善悪を超えて、ただ存在を主張するということ。現代のSNS見てても、同じ。バズる投稿って、賛否両論のヤツが多い。あれ、エネルギーの塊だ。
 
善悪のラベルを超える視点
ここで考えさせられるのが、善悪の枠組み。
 
世の中、良いこと悪いことって分けがちだけど、表現の世界じゃ、それ意味ないかもしれない。仏教の「無分別」みたいに、ただ「あるがまま」受け止める。
 
響くのも反発も、宇宙の振動の一部だって思うと、発信する勇気が出る気もする。
たとえば、あなたが意見を言う。誰かが傷つくかも。でも、無視されるより、議論が生まれて世界が変わる方が、デカい。
 
デリダの「脱構築」みたいに、固定された意味を崩すんだ。
 
表現は、善悪の二元論をぶっ壊して、新しい振動を生むツールかもしれない。
 
発信する勇気と哲学
結局、表現するってのは、エネルギーを放つこと。
AI時代で情報が氾濫してる今、ただのデータじゃなく、心を揺さぶるものが大事。あなたの言葉や絵が、誰かを変える可能性をいつも秘めている。
 
でも、心を揺さぶるモノって何だろう?
恐らく、揺さぶろうとして揺さぶられるものでもない。
本当に、「そう」思って、自然に出てくるものだとも思う。
 
純粋さはやはり神。世間知らずの子供の一言ってキョーレツだもんね笑
 
微妙な善悪気にせず、ムリに振動を起こすこと考えず、ワクワクしてカタチの無いものにカタチを与えていきたい。
 
あなたはどう? 自分の表現で、何か変わった体験あればぜひ教えてほしい。
 
Xエックスやってます。遊びに来てくださいね。

 

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